1年に2回くらい
一気にドバーッと目から水が出る日がある. 今日はそのうちの1日だった.
こんな話をなんで書くのかというと,
今日1日そのものがなんだか色々なことがあったというのと,
最近の異常な日常ということと,
久しぶりに一気に泣いて,「ああこれまた出会ったわ」と,旧友に再開したかのような懐かしい感覚と.
色々記録に残したくなったからである.
涙が大量に流れた原因は,単純で
「自分の無能さに打ちのめされたから」
である.
ここのところずっと,論文の追試実装がうまくいかず頭を悩ませていた.
アルゴリズムは,論文を書いた先生がいる研究室のポスドク外国研究生Aさんともコンタクトを取りつつ,合っていそうだということを確認していた.
しかしそこから先のデータの予測精度が全くでなかった.
過程のデータの可視化を行っておかしそうなところの目星はなんとなく考えつつ,肝心の原因はどうしてもわからなかった.
「同じ問題に毎日頭を悩ませるのも馬鹿らしい.
他の実験を進めるうちに原因が明らかになるかもしれない」
そう思いながら,時間がすぎていた.
今月からそのコンピュータサイエンス専攻(CS)の先生とも2週間に1回合同ゼミを開催することになり,
毎回のゼミで進捗を生まなければならないという圧力を感じていた.
前回のゼミでここがうまくいっていませんというのはすでに報告しており,今回のゼミでは原因を解明して望もうと思っていたのに.
結果を出すことは諦めて,詳細な実験過程を乗せることで乗り切ることにした.
Aさんも,うまくいっていないといっていたし.
そのゼミがどうだったかというと,
それはもう最悪なものだった.
ゼミでは,まず私の方から現状を共有した.
irisレベルの簡単なデータを用いていても精度のベンチマークを達成していなかったことに対し,CS専攻の先生方は難色を示した.
先生はmatlabを使っていたこともあり,その場で私が書いたpythonコードを1行1行確認するわけにもいかない.
「研究を進めるにも,まず簡単なデータでさえ結果が出ないのは問題」
とりあえずそのまま進めて他の手法も試していけばいいのではないか.と考えていた私に,重く突き刺さった.
その場で思わずAさんに現状を聞いてみると,
どうやらAさんは,コンディションによってはうまくいかないこともあるが,概ね論文の結果は少なくとも簡単なデータで再現できているとのことだった.
ああ,再現できてたのか.
私,1ヶ月くらいかけてたのに,うまくいかない原因もわからず,
全然進んでいない.
CS専攻の先生とAさんはそのまま,Aさんから聞いた現状を踏まえ,より応用的な手法について議論を始めた.
置いてかれてるなー.研究室のメンバーに申し訳ない.
その2人の様子を見ながら,ぼんやりと思った.
見かねたこちらのボスが間に割って入って,Aさんに.コードを共有するよう,いつものハツラツとした強い主張の声でお願いした.
我々は,Aさんからコードを共有して,まず学ぼう,と.
すごいなぁ.よくこの空気感の中,割って入ってお願いできるなぁ.
申し訳ない.
ボスの図太さに感嘆すると同時に,
私は,そんなことを言わせてしまったボスに対して,また,居心地悪い思いをしているであろう同じ研究室の同期後輩に対して情けない気持ちでいっぱいになった.
冷静に考えて,「わかりません,うまくいきませんでした」を報告することにはなんの価値もない.
どれだけ頑張っても,評価されるのはその根性ではなく,アウトプットだ.
研究だけでなく授業や打ち合わせ,会議や雑務も抱えている先生方からしてみれば.
「わからなければ個人で解決しとけよ」という話である.
私はそれをやろうとしなかった.
単純に,
悔しかったから
である.
Aさんからしてみれば自分の研究テーマでもあるわけだし,
「コード見せてください」
と軽々しくお願いすることは私がまるでAさんがこれまで大切に時間をかけて作ったケーキを横取りするような感覚だった.
振り返ってみれば,単なるプライドでしかない.
分からなければ,分からないと主張しないと,何も生み出せないし,
その結果有意義な時間を過ごせず迷惑がかかるのはAさんをはじめとするゼミ参加者10人以上全員なのである.
「考える」ことと「悩む」ことは違う.
「考える」とは,「答えがある」という前提の下,建設的に要因を検討すること
「悩む」とは,「答えがない」という前提の下,「考えるフリ」をすること.
- 作者:安宅和人
- 発売日: 2010/11/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
私は,「考えるフリ」をしていたらしい.
自分では答えが探せないとわかっていた.
なのに,だらだら,
「なんでなんだろう」「どうしてうまくいかないんだろう」と
自問自答して時間を溶かしていた.
ゼミが終わり,
CSの先生から自分宛に励ましとも取れるメールを見て,
情けなさに目の前がかすみそうになるのを堪え
メールの返信を打つ.
「指導ありがとうございます。頑張ります、今後ともよろしくお願いします」
的な文面
すぐに1分後にボスから返信
「さすが,ありがとう」
さすが???何が?どこが?????
この文面を見た瞬間,糸が切れた完全に.
意味わからん.
私が全然できないのわかってるだろ.
自分の一体全体どこを評価してくれているのか,さっぱり理解できなかった.
なんだか信じられているらしいことだけはわかった(この前にメッセンジャーも来ていた)
ある心理学の実験によると,指導者が教え子の可能性を本気で信じ,本人に才能があると思わせることは,そうされなかった人と比べて有意に成績や結果を出すことができるそうだ
優れたリーダーは,本気で人の可能性を信じることができる.
信じられていると自覚した人は,それに応えようと一生懸命努力する.
それが違いを生むらしい.
GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 (単行本)
- 作者:アダム グラント
- 発売日: 2014/01/10
- メディア: ハードカバー
まだ自分のことで精一杯な私は,人を信じることができる器になれるだろうか.
または人に逆に期待されたとして,それに応えることができるだろうか.
確実に言えるのは,「自分にだけには負けたくない.」ということだ
涙腺が崩壊したその1分後には,家をでなければならない時間が15分後に迫っていることに気づき,大慌てで化粧直しをして支度をし,家を飛び出した.
どこか他人事だと思っていたCOVID-19がいよいよ大規模流行の局面となり,3/27には外出自粛要請が出された.
そんな最中,私は東京へ行く準備をしている.
気づかない間に満開となった桜と,
気づかない間に蔓延していたCOVID-19.
見えないウイルスに対し活動が忍ばれている中,居酒屋に集う人.
健康面でも財政面でも影響を受ける人が多い中,目の前のアルゴリズムだけを考える自分.
全てが異様でちぐはぐな世界にいる.
なんとか滑り込んだつくばエクスプレスに乗りながら思った.
結局,どんなに恥ずかしくても,惨めでも,生きていくしかないんだけどね